2022年4月28日木曜日

網走・知床へ(3)知床・雪原を歩く

For Abashiri, Shiretoko (3)
木造の網走監獄
北海道の開拓は、屯田兵や入植団だけではなく、
明治初めは多くの囚人の強制労働もあった。政治犯や思想犯も多かった。
1980年、網走~旭川の中央道路を、1200人の囚人でわずか8か月で作り、
6人に一人は亡くなった。

放射状の5棟の舎房が見渡せるように、手前に中央見張り所あり。
農場、漬物小屋や味噌・醤油蔵、レンガの登り窯、鍛冶屋もある数少ない自給型刑務所。

(どういうコンセプトでここを開放しているのだろう・・?)


ここから知床、プラゴミはあらゆる場所に。
深い浅い海や浜辺・高い低い山・空気中にも。


知床世界遺産センターにて
流氷の一生




キーを叩くと、流氷の解ける音、沢の音、エゾシカやヒグマの声、
雪渓の溶ける音、さまざまな鳥の鳴き声などが・・


えっ、ヒグマの後足はこんなに大きいの?!


大好きな鮭トバ作り!
鮭に塩して乾燥するだけだが、生ハムのよう・・


ウトロのアイヌ3代目の民宿「酋長の家」泊
小さなアイヌ資料館あり


オーナーが彫った神を祭るときのイナウ(左下)
サニラップ(シナの樹皮で作った山菜入れ)、マレックウ(魚を突くもの)、
ㇸベレアイ(熊祭りの矢)なども。




知床自然センター向いの散策路
カンジキ付けひとりで・・、今年、まだヒグマは出ていないそうだ
スノーシューや動物の足跡もだんだんなくなる・・

見知らぬ雪原を一人で歩くのは、極上の瞑想かも。


知床自然センターにて
1960年ごろと比べると、流氷面積は4分の一近くに減少、
このままでは、20年後にはなくなるのではないかと・・


オーナーの母親が作った、祈壇用ガマの葉のゴザ

翌日午後、ハイライトの流氷ウオークのはずが、
凍結した道路で派手にすべって転び、左手首骨折、急遽京都へもどることに・・

1か月後にギブスは取れたが、2か月後の今も左手のグリップが効かず、自転車に乗れず・・
両手(片手で支える)が使えないと、多くのことができないのね。
ジッパーやボタン、着替え、瓶を空ける、野菜を切るなどなど・・
アパートや近所の友人たちに助けられた2か月、本当にありがとう。