2012年7月7日土曜日

大飯原発・再稼動の日 (2)


原発の下には静かな漁村、原発作業員が泊まるだろう旅館も多い


原発周辺には、このようなモニタリングポストが多く設置 (単位はグレイ)



少し奥で座り込みしていた人びとが、ひとりひとり抜かれていく

「署名も集めたし住民会議もした、ずっと合法的にやってきた、それでも変わらなかった。
これが最後の方法なんだ。」とずっと訴えていた男性
4重の機動隊を前にずっと立ちつくす女性
雨の中ずっとドラムをたたく人


夕方から機動隊も警察隊も急に増加
写真の左外にも多くの人々が座りこんでいる
そのさらに奥を下った見えない海岸線に、原発は立地


夜7時ごろ
これは再稼動を止めたい人々が、奥へ進もうとしているのではなく、
公道にいる人々を警察隊がさらに遠くへ押し出そうとしたので、もみあいになった
(事実も見方ひとつで、全く違ってみえる)

関係者は海から原発に入り、夜9時、制御棒を抜き原子炉を起動
その後夜12:30過ぎ、突然警察隊が撤去、

学生時代からノンセクトで、シュプレヒコールやデモの好きではなかった私だが
多くの人々と出会い、たくさんの勇気とパワーをもらった

今回は、国内外から多くのメディアが集まり世界に発信されたが、
同時に、世界の多くのできごとを知らずに過ぎていっているだろうという再認識
例えば、青森・六ヶ所再処理工場の漁民の激しい抵抗運動

地元の人々の参加や交流が少なかったことは大きな課題だが、
これから私は、どう暮らし、生きていくのか?


大飯原発・再稼動の日 (1)


2012年7月1日朝、大飯原発前

ここまで車の長打の列、ここから歩いて原発前へ
この後ろに原発PR館、さらにそこから下った海辺に大飯原発群

ここから京都府庁まで57km、大阪支庁まで91km、福井市庁までは90km!
防波堤は2013年中、ベントフィルターと免責棟は2015年中に設置予定




泊り込みの人も多いので、小さな子供や犬も多い
原発事故で逃げるも救援も、道(と橋)は一本


原発敷地内の片隅には、みなの差し入れの食料置き場がある
おにぎり、水、温かなスープ、ピザやパン
私も少しいただく

おおい町テント村


原発交付金で建てられた立派な総合運動公園北端のテント村
30~40張りあるだろうか
6月23日から、全国から様々な人々が集まりテントを張っていた


本部テントの屋根

飲み水の場所、
大飯原発を見るには・・・(遊覧船か漁船で、海上からしか見ることができない立地)
周辺地図、ゴミの注意他

中では、パソコンで現地の実況がUチューブで見られる
多くの人は、雨の中、30日夜中(1日)から現地入り

大飯原発・再稼動・前日



2012年6月30日、福井県若狭湾、大飯原発再稼動前日。
福岡・大阪・京都・東京からもバスが集まった。
私はアパートから車を相乗りし、おおい集会へ 


集会後、雨の中、町役場~オフサイトセンター
(経産省副大臣が常駐・もめた末、要望書を手渡す)へデモ、 

みな手作りのプラカードを持って。
私は黄色い布に{普通に生きたい、暮らしたい」と。
たくさんの知人に会う。20年ぶりの再会も!

ボタン店と帽子



モーネ工房(HPあり)と工房ソラ(HPあり)がコラボレーションして「ボタン店」
東山のギャラリーju::彩 で開催

手前が草木染フェルトのボタン、まんまるフェルトのボタン、
他に陶器、さおり織りの胡桃ボタン、紙張りのボタン、みなたくさん作ったね


これはな~に? 卵入れ? ボット入れ?
草木染羊毛やジュートや綿糸のまんまる帽子
秋になったら、Cafe & Zakka 「ソラシド」(ギャラリーの1階)に並ぶかな? 見に来てね。

綾部の夏


京都北部・綾部の知人の家へ
隣のお寺の裏には、アワ、キビ、シコクビエ(西アフリカ・マリの村では、毎日これが主食だった)、
黒紫やピンクのモチトウモロコシ、アマランサスなどの雑穀畑
その脇の谷川を歩くと、フキ、ワサビ、クレソン
緑に染まる

夜は、近くの小川で美しく舞う蛍


その知人の祖母の家にあった30年ものの味噌と梅干
味噌は真っ黒、長い間、納屋で熟成しながら夢見てたのね
大事に味見しようね