2017年10月24日火曜日

秋のめぐみと酒作り

 
Harvest Season and Brew Wine
左から:ハト麦、タカキビ、日本の多肉植物・ミセバヤ
このあと、バケツ稲のもち米(丹後産)と黒米収穫

 
柿ワイン:つぶした熟柿、砂糖(柿の2割)、種においしい酒かすとドブロク残り
できるかな?

 
酵母ジュースではなく果物ワインを目指したが・・・?
常温のち冷蔵庫で熟成中
柿やリンゴ、ポウポウやアケビ、ショウガと砂糖

 
一番簡単なドブロクの作り方?
固めに炊いた雑穀入り米(3分搗き)、米麹と水、種においしい酒粕とドブロク粕
夏の終わりは、すぐしゅわしゅわしたが、もう晩秋

 
今日は銀杏拾い、水に漬けておくと外皮が取れる
他にシイの実、石鹸代わりのムクロジの実、カリン、山栗など秋は実盛り!
そのうち、オオバコ、ヨモギやアカザなどの実でお茶作りも

 
晩秋の菜園
左:天水ため、パクチー、ワケギ(男木島)、ヨモギ(朝の生ジュースに)
右:レタス、赤キャベツ、ニンジン菜、パセリ、スペアミント、バラン
手前:アロエベラ、月桃(波照間)、ウチワサボテン(宮崎)
 
見えない奥:若狭の黒豆、ニラと島ラッキョウ(波照間)とミョウガ、レモングラス、
クコとパッションフルーツ!、ツルムラサキ、ショウガ、春菊、ハヤトウリ、琉球(ハスイモ)
バナナ(葉芭蕉)はない・・
 
これから麦類(裸麦、スペルト小麦)播こうかな。
希望は、半分:多年草やこぼれ種、4分の1:1年草、残り:採集♪

瀬戸内の島へ(2)豊島

 
Island in Setouchi (2)Teshima
高松回りで豊島(てしま)へ
 
島周遊バスはほとんど外国人、全員豊島美術館へ
私は別の港、唐櫃(からと)の秋祭りへ
長い参道を歩き八幡神社へ

 
台風の中、祭りは決行
天狗が厄払い

 
神事にかかせない大麻の縄

 
女の子の着物を着た男の子二人が乗った太鼓台
これと神輿がせめぎあって海岸まで行き、また戻る
 
みなに婦人会の作った新米のおにぎりではなく、コンビニおにぎりと飲み物がふるまわれる
ごちそうさま

 
風避けの高い石垣が巡る海側の集落
1975年人口2150人、現在は850人ほど、高齢者が半分以上。
米を移出するほど豊かだった棚田は、ほとんどが荒廃した。
 
賀川豊彦と藤崎盛一により、農民福音学校(1947~1982年)や
立体農業研究所(日本のパーマカルチャーとも言われる)が開かれる。
 
前者は、デンマークのフォルケ・ホイ・スコーレを目指したようだ。
30代の私はそのひとつ、The Travelling Fork Highschool「旅する人々の学校」に行き、
南部アフリカ・ザンビアの小学校を回り果樹園作りをしていた。
(明石書店「生のための学校」参照)
 
上記を引き継ぐ土曜農民学校は時々開かれているようなので、今度参加したい。
 
 
港の看板
午後は住民会議による、日本最大量91万トンの有害産業廃棄物不法投棄・
豊島事件の話ともと産廃現場へ

 
島の西部・国立公園の水の浦、300x400m、最高18mの高さがあったもと産廃現場
左:海に汚染水が行かないよう鉄の防護壁(18m)建設

 
ここから、もと産廃現場の資料館
 産廃のほとんどは、廃棄車のシュレッダーダスト(鉄以外の廃プラスチック)
産廃はすべて直島へ運ばれたので、ここしか残っていない。

 
住民はあらゆる行動を起こすが、個人による不法投棄は、
1975~1990年兵庫県警による摘発まで続いた。
県庁、国会への陳情、座り込みや立ちんぼ、署名など。
子供たちの喘息が増え、魚も死んでいった。
 
しかし、ダイオキシン、有機化合物、鉛などの重金属などの産廃はそのまま。
1993年に公害調停申し立て、2000年調停成立
その間にも100か所連続座談会、銀座でのデモなど。
 
その後、やっと2000年から処理施設建設、
2017年、隣の直島・三菱マテリアル銅精錬所(放射能ガレキも焼却しているという)
に作った溶融炉で処理完了した。
しかし、もと産廃現場の復興は長い道のり、
 
最近、島の南部・東洋オリーブ園近くに
廃棄物を埋めて大型ソーラーパネル建設問題が起こっている。
会社は、もうけたら自己破産して逃げることもよくあるという。補助金のためか・・?
 
 
今回担当してくれたのは、70歳の男性。でも(後に引き継ぐ世代がいない)という・・
(豊島事件の説明は不十分なので、各自調べてみてください)
住民会議は、ひとりでもお話・見学可。

瀬戸内の島へ(1)男木島

 
Islands in Setouchi (1)Ogijima
高知で入院中の母のいた老人ホームの撤去のち、バンブー茶館でひといき
 
インドより古い中国紅茶、右のガラスの茶こし(?)に茶葉をそそぎ、色をみながら・・
毎年5月ころ、オーナーが台湾や中国へ行って仕入れてくる茶話聞きながら・・
今日のお菓子は、できたて茶葉入りマフィン
 
斜め向こうには、アジア屋台風食堂「ワルン」あり
 
 
香川・高松から40分で男木島へ(2時間おきに1日5便)
スペインのアーティスト作・8か国語(?)の字で書かれた屋根の男木島交流館
 
 
ほとんど車は走れない島の迷路のような露地
石垣の上に船板で囲ったコの字型に家がある
ほとんどオンバ(手押し車)で運ぶ 
すべての露地はと豊玉姫神社へと・・
 
あちこちの畑は、海を泳いできたイノシシが増えて、大変
水田はできず、大麦や落花生、サツマイモを植えていたが、どこもイノシシが・・
島のほとんどが照葉樹林だが、里に出てくるのね。

 
廃屋に山盛りのエビヅル、
ワインができるかも♪

 
瀬戸内海芸術祭は3年に一度だが(次回は2019年)、
他の時期にも訪ずれる旅行者のために、あちこちに看板あり。
今晩は、民宿サクラでタコ飯

 
灯台に行く道はアケビの里
紫は発酵色

 
里から40分ほど歩けば、石造りの素敵な灯台
小さいけれど、瀬戸内海には欠かせない灯り
(人はおらず、全部自動操業)

 
戦後すぐが人口のピーク、1975年700人、
現在180人、4年間で50人人口減! ほとんどが70歳以上、
でも同じ時期に40人近くの移住者(30~40代)が来て、
3年休校だった中学校は再開、小中あわせて11人。
 
毎日15~17時に市民病院から医師が来る診療所あり
(急ぐときは、海上タクシーが漁船か・・?)
 
港から見える家々の半分以上が空き家か廃屋。
今も移住希望者が多いが、相続者が多いと家の購入は大変、
大工や電気・水道会社、不動産屋も離島は採算があわないので、来てくれない。ゆえにDIY。
100人くらいで維持出来たら・・
 
Uターンしカフェ併設の男木図書館を開いた福井さん(自治会長も)から
 

 

福井・鯖江のRenewへ

 
for Renew in Sabae,Fukui
RenewX大日本鯖江博覧会へ
 
鯖江駅前の漆塗り職人
修繕する箱ものを塗っている
糊漆(米糊+ケヤキの粉+漆)を混ぜるたものを始めに塗る
 
 
越前漆の「うるしの里会館」から歩き始め
普段は出入りできないものつくりの現場を経験し、体験する
鯖江地区には、最近40人も移住したそうだ
 
ここは「ろくろ舎」、石川県ろくろ技術研究所で3年研修中の女性が、くるくる
木地は、ケヤキやミズメサクラ
私はひそかにずっと、(木ろくろをしたい)と思っていた

 
1793年創業「漆琳堂」で生漆・拭き漆のワークショップ
左の生漆を布に付け、木地を塗る
その後店で、塗り・乾燥を3回ほど繰り返し繰り終わり

 
ここにも、全国から漆器のお直しが送られてくる
これは福井の宿の汁椀

 
漆の入っている箱、漆は中国から。
これで10万円くらいだが、最後の中・上塗りだけだと300個くらい塗れるらしい

 
漆の木。古くから越前には漆かき職人がたくさんいて、
田植え後、稲刈りまで漆液を採集しながら、全国を回っていた。
(弥生時代にも赤漆があった!)
 
鯖江市の学校給食では、お盆とお椀を漆塗にする試みが始まった。
 
 
創業100年の「錦古さと漆器店」、ここでも漆塗り体験可。
赤は何の色かずっと気になっていた。
なんと「有機水銀粉とカドニウム」(弁柄も)と聞いて倒れそうになる。
有機水銀粉の箱があった・・
日本の赤はそうだったのか・・

 
神社のお供え高盆、山車、蒔絵、漆は欠かせない。
漆は湿度で乾く。湿度60%、26度が最適。
ここは常温で風呂敷に水分を含ませたりして調整している、送り風呂

 
うるしの里会館の柿渋を作るときの柿絞り器
漆の下地に柿渋を塗ることもある。
 
他のも、浜町発酵夜市、福井クラフトツーリズム、移住EXPOなど盛り沢山の4日間

秋の染めいろ

 
Plant color in Autumn
綿糸いろいろ

 
早春、椿の花びら染の残液で

 
夏の終わり、タデ藍の生葉染
太陽が少なくなると、緑の色素が多いような・・

 
工房ソラで70代の男性の絞り
あとでインド藍染めに

 
奈良・月ヶ瀬でウメノキゴケ実験
月ヶ瀬、宮崎、京都からのウメノキゴケで。藤色は吉野の麻布。
 
右下:北インド・ウッタランチャル州都デラドゥンの染め屋で入手した絹ショール
多分、ラジャスタン州のカラフルな染ショール用になる。

 
これがウメノキゴケ、でも岩、サクラなにでも付く。
手で採れるまでには30年以上かかり、空気のきれいなところで育つ。
マツゲゴケ(無媒染で明るい茶色)も似ていてるので、ご注意。
 
古くはヨーロッパで、腐った尿に石灰を入れて反応させたらしい。
それも実験中!