2023年9月26日火曜日

タシケントーソウルー関空へ


ウズベキスタン最後の日に見つけたドアは、
どこかの大使の家のようだ。

最後の日に、宿で会ったのは、スイスを5月に出発し、サイクリングしてるカップル。
これからキルギスタン南部、オシュから陸路中国入りーベトナムーシンガポールへ

アメリカ人でアムステルダム在住のMSF(国境なき医師団)アドミニのナーフィ。
タジキスタンのミッション視察だって、話したかったなあ。
以前は、コンゴ、スーダンなどで活動した。


確か去年は、ドルしかソムに両替できなかったような気がするが、
今年は、なんと8種類の通貨→ソムへ、ソム→それらの外貨へも。
しかし、空港でソムを外貨へ両替するときには、
銀行での換金レシートがいるので、お忘れなく。

タシケント国際空港は、多分到着口と出発口が別々の棟で、自由に行き来は出来ないので、
到着口の換金コーナーは、今でもドル(しかも50と100ドル紙幣のみ)だけかも。確認を。


ソウルで楽しみにしていたトランジットツアー(無料)には、時間不足で参加できず。。
南北境界線(DMZ)や休戦ライン近くの統一展望台や平和公園、在来市場ツアーもあるよ。

待ち時間にシャワー(無料)を浴び、
ウズベキスタンにテキスタイルツアーで来たと言うオーストラリア人女性と、話しこむ。
ベンガラや世界の藍の話なども。

ソウルでのチェックイン待ちの時は、周囲はグループツアーだらけ。

台湾のグループツアーは、インドー中央アジアまで多くは陸路で45日間、100万円!
台湾人のシニアカップルは、ピースボート100日間に2回参加したって。
私が(えっ、高い!)と反応すると、(日本人が高いって言っているよ!)と、
皆でざわざわしてたのがおかしかったなあ。

韓国のグループツアーは、西安ー中央アジアまで、多くは陸路で、30日間、70万円。
すごく充実したツアーだろうけれど、両国の物価水準が。。。!

日本は、阪急ツアーで6日間、ウズベキスタンのみ。さすが忙しいね。
皆20−30人のツアーだったみたい。お疲れさま。

9月21日朝、夜行便で関空に着くと、早速雨と湿度がお迎えに。


 

 

工芸博物館


工芸博物館へ
もとロシア公使の私邸だった建物


入り口にいる鳥は。。?


絹と綿絣のアドラス


スザニ
チューリップやティーポット、ブドウやザクロ、月と星などモチーフはさまざま。


上段の布だけ見ると、インド製に見えるが、これはウズベイスタンの木版布
インド発祥の更紗は、ヨーロッパ、東南アジア、東アジアへと、
それぞれの文化の影響を受けながら、独自の更紗に花開いていった


なんと弦楽器の周囲には、らでん細工が。。
らでんは、5000年前にエジプト発祥らしく、日本に来たのは奈良時代。





天井も、限りなく美しいなあ


中心が、深く球状になっているテーブル


本来は、水がたたえられていただろう。。
座っているだけで、瞑想状態に。


精密画



ブハラ郊外の村で作られている空想の動物


ヘチマの殻で作った香り入れ



100年前には、こんな美しい水入れを、毎日使っていたのね


中庭には、作りかけのタンドール

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中庭の改装中の棟、手前の窓が素敵、ここにも鳥籠。
ネパールの村を想い出すような。。

 

スーパーマーケットと大食堂



タシケント宿の近くのコルジンカスーパーマーケット
穀物売り場には、上:ソバの実、粟 下:大麦 (多分皆ロシア産)
そう、なんでもロシア産が多く、ウズベキスタン産は、探さないとね。


魚売り場、手前は高級サーモン(こちらもロシアから)
奥:川魚にしては大きい。。?


自国の川魚の燻製も、輸入もあり


高級住宅地に、雨の如く落ちるアカシアの実
誰も掃除しないのね。。


ウズベキスタンは、本当に子供が多い。
至る所に保育園や学校がある、子供の遊び場も。
ここは珍しく、英語表示あり


最後のソムをドルに変えようと、ダメ元で、近くの銀行に行く。
なんとパスポートも換金レシートも出さずに、ソム→ドルに両替できた!
昨年は、空港でも両替できなかったのに。。随分金融緩和(?)が進んだのね。

(キルギスは、至る場所に、私設の換金所があり、ドル→ソム、ソム→ドル可能
ウズベキスタンは、私設のはないので、全て銀行で両替する)

近くに韓国料理店(旅行会社も隣に)があったが、高くてパス。


また歩くと、素晴らしい大レストランが。。!
ランチ時で混み過ぎていて、注文法もしばしわからず、メニューを眺める



パンやスイートも種類多し。明日の夜行便のおやつを。


ランチどきなので、ウエイターは走っている!
内外合わせて、300人以上入れるかも。


Milliy Taomlar レストラン
チェーン店かもしれないけど、ランチ時は避けて、ぜひ一度お試しを。
Shota Rustaveli 通りかな。


 

チョルスーバザール、ジャミーモスク


タシケントの台所、チョルスーバザールわきのトラック


メインの半円形の大きな建物
手前左:ミルク加工品、広い!
左:スパイス、その上はサラダ類

他にもいくつも建物があり、なんでもあり!


山のような木の実の店がぎっしり
どうやって選ぶのだろう。。?
手前右:お気に入りの殻付きアーモンド、1kg120000ソムくらい


手前右:また見つけた、ミネラルの多い粘土


バザールから5分のクカルダシュ メドレセ
ここらは旧市街


天井の灯り



僧院の中は、このように暗い階段も多いので、懐中電灯必須。


ここは今もメドレセ(神学校)として使っているので、
立ち入り禁止の場所が多い。2階は学生寮。
16世紀に造られ、ソ連時代は倉庫として、独立後、再び神学校に。


その裏手のジャミーモスク


女性の徳について書かれているような。。


ここは珍しく、入り口近くに、小さな女性の礼拝室あり
ほとんどのモスクは、男性のみ


今日は、モールのフードコートでランチ
トルコ料理もあったけれど、こちらに。

大麦(100%ソバの実もあり)と、ビーツサラダ
サラダは多いけれど、ほとんどがたっぷりの油であえている


 

 

ブハラからタシケントへ列車旅、アミニの死から、ソ連軍として


毎朝、朝食前に散歩に来ていた広場
朝晩は寒くて、ショールをはおって。


南東の公園に行くと、第二次世界大戦中(1939−1945年)にソ連軍として参戦し、
亡くなった兵士の記念公園があり、
兵士の名前を一人一人見られるようになっていた。

ソ連のアフガン侵攻(1978−1989)にも、同じく参戦させられ、初期には多くの人が亡くなった


道端の一本の木から作る木彫り、糸ノコで細かく掘り出していく。
コーランを置く書見台


本当にたくさんの素敵なドアに出会った



踊り出すようなアラビア文字のカリグラフィー


一面の収穫後の麦畑を過ぎ。。


空いているように見えるが、サマルカンドでたくさん乗車し、満員に。
水やコーク、ハンバーガー(?)、バナナなど売りに来る。
砂糖入りレモンティー、3in1のコーヒーは、5000ソム
トイレの手洗いの水は出て、トレペもあり。小さな冷蔵庫もあったよ。


サマルカンド駅構内にて、
ここのナンは有名で、お土産に買っているみたい

隣のキオスクでは、インスタントラーメン(列車内に必ず給湯器はある)、ビスケット、
それは大きなソーセージ、サモサ、ゆで卵、ひまわりの種などあり


二番目に早い特急シャルク号
ブハラ16時発ータシケント22時半着


ブハラの最後の朝
切り出した石の色が美しい


9月19日、今日はイランでクルド系アミニが、スカーフをキチンをつけてないと、
道徳警察に連行され、その3日後に死亡して1年目。
その後、イランでは、(女性、命、自由)を掲げて命がけのデモが広がる
500人以上がそのために殺され、10人近くが処刑された。
今日は世界で抗議デモが、イランでも、スカーフをつけない女性たちも歩く。

私は1年前のこの日、サマルカンドにいた。
それを知らされたのは、同宿のイラン人バックッパッカー3人組の1人から、
彼からのメールは突然途絶えた、どうしているのだろう。。

ウズベキスタンの南はアフガニスタン、西はトクルメニスタン、
それぞれの隣国がイラン、イランは近い国

時々自問する。。
もし私がそのような国に生まれ、海外に(どころか家の外に)も行く自由がないとしたら、
どうするのかと。。