2019年4月3日水曜日

カトマンズ盆地から

in Kathamndu Vally
1960年から多くの亡命チベット人が住み着いたボナダートの店
左から:石鹸、ゴマボール、ネパールの乾燥チーズ(チュルピ)、?、
チベットの乾燥チーズ2種、でも他はほとんど中国食品!
 
大勢の中国人が、ヒマラヤ国境を越えて旅行に。
ラサとカトマンズを鉄道で結ぶ協定もできたそうだ!
(ますますネパールの中国化がすすむ?!)

 
マンダラを表す大きな仏塔の周りの僧院(ゴンパ)の屋上
毎日たやすことなく、こうして火をともすのだ、ナタネ油に綿の芯で
 
チベット仏教徒の巡礼が多く、右回りに仏塔の周りを歩く

 
宿のオーナーはムスタンから
そこのソバガキの夕食、おいしい!

 
カトマンズの宿の洗面所の水
ずっと首都でも毎日数時間以上停電だったのは、3年前に解消、
でも上水道はないにひとしく、みな雨水をためたり、水タンク車から水を買い、
屋上の水タンクにためている
 
ゴミは不定期にしか集めに来ず、集めてもいい焼却炉はなく
、どこかに投げたり、川に捨てたりしている・・
 
カトマンズの人口はこの10年で2倍近くに、バイクや車、大気汚染も倍に・・?
数人に一人はマスク、バイクはほとんどマスクを。、
中国からのPM2.5、排気ガス、工場、砂ほこりなど。
 
塩水うがい、マスク、プロポリススプレーでも追いつかず、喉にさすような痛みあり。
どうする、カトマンズ盆地よ
 
 
たくさんの雑穀
シコクビエ(コドゥ)、ソバ(パファール)、アワ(ジュネロ)、キビ(アルチャ?)、
アマランサスなど、有機認証を取っているものも多い

 
毎土曜日のファーマーズマーケット、ル・シェルパの中庭で大にぎわい
たくさんの野菜や雑穀、苗、チーズやパン、
エチオピアやビルマの食べ物屋も・・

 
ネワール風建築の宿の中庭、たくさんの石臼


タメルのカフェの張り紙
大地震復興の建設ボランティア求む!
 

 
おまけ:ブータンの餅麹(多分米から)
シダは菌のためか? 大きい!

 
最後の日、ネパール東部の有機茶園(1850m)のティーテイスティングを。
春摘み~夏摘み~冬摘みまで、緑茶~紅茶(半発酵)~ウーロン茶風(発酵)まで
最後に緑茶の冷茶をいただく
 
コンタクトなく14年ぶりに再会した古い友人たち、新しい友人、
次は、2000年始めに農業研修などで数か月滞在したパラバット郡の村々へ

 

泥と竹の家

 
ポカラで初めて、アーユルベーダの施術を受ける
頭マッサージのあと、額にごま油を垂らすシロダーラを。
翌日、緑豆やひよこ豆の粉で洗髪
 
大きなシンギングボールでのヒーリングもあり

for Mud and Bamboo House
HASRA参加者のプラナティとネルパルの泥と竹の家へ
abari.earth へ

 
庭には野菜や花いっぱい、少量多品目
これはブラックアマランサス
ポップや粉にしたり、ごはんに炊き込んだり・・
 
 
竹の骨組み
ジョイントに鉄を少し

 
壁土:石灰+小石+赤土+もみ殻+砂など
牛糞や尿入れない

 
上は瞑想ホール、下は牛小屋なので暖かい?

 
母屋の3階でおやすみ、家中瞑想ホールみたい
本当にくつろぎ、壁土の家に暮らすのは、夢でもある
 
ある日の朝食は、アワのおかゆとカモミールティ

 
Himalayan Permaculture のゾーン表
ネパールにはパーマカルチャーのネットワークもある

 
母屋の前、HASERA参加者と
右端:プラナティ

 
二人とも発酵も興味あり、自家製こ米ぬかでぬか床作り
唐辛子と山椒!も入れて、大好評!

 
ワラ細工をする近所のおばあさんが飲んでいるのは、ドブロク(チャン)
手にしているのは、大きな餅麹
 
餅麹:浸水した穀物を粉にして、ジャックフルーツの葉とナランパティの花を混ぜる→
日陰に数日置くと菌が付く
ドブロク:竹籠に稲わら+餅麹+稲わらを重ねる→日陰に数日おくと発酵開始→陶器のカメに入れ、稲わらでフタ→1年もつ!

 
マンゴーで生成り絹ショールを染めると・・
アルミ媒染:黄色、鉄媒染:オリーブ色

 
近所に建設中の知人の家

 
3月の満月(春分)はホーリー
左:水牛のマッサラ味、右;ドブロクと搾りかす、焚火の前で飲んだあと、
近所の家へ、狭い前庭で、みな歌い踊るよ
(みなすごい斜面に家が建っているので、平らな広い場所はない)

 
家の前は、どこまでも棚田
ここは、カトマンズから東へ2時間、ドウリケル近く

 
ネルパルがWSで習ってきた発酵肥料を作ってみる
奥:できあがった発酵肥料2種、手前:ネパール風ボカシ

 
彼らの本箱から
今回何人に福岡正信さんのことを聞かれたことか・・
ワラ一本の革命、自然農法のひと

2019年4月2日火曜日

スケコット村へ

 for Sukekot village
車に揺られて数時間、大地震で被災したスケコット村へ
 
あちこちに丸太をくり抜いた4つの養蜂箱がある
小さな穴が側面にひとつあり、両脇は板と泥でふさいでいる

 
どこも壁のようにトウモロコシ(マカイ)を保存中
家畜の飼料や、ご飯に混ぜたり、粉にしたりポップコーンに

 
シコクビエのドブロク(チャン)作り、飲む前に水を加えてこねる
アルコール度は3%位か?

 
右:固定式の石臼
彼女が焼酎(ロキシー)を作ってくれた
銅や真鍮の台所用具も少なくなっている

 
下の鍋にドブロク、上の鍋に冷やした水と蒸留酒の受けカメ、
白い線は、何回中の水を変えたか。
大体4~5回でOK、隙間は泥やタオルでふさぐ
アルコール度は35度以上で、強くて飲めない・・

 
共同の水くみ場
ここで洗濯や冷たい水浴び、水汲み

 
下で作ったシコクビエのクレープに、
採りたてハチミツと水牛バター(ギー)、ぜいたくな朝食をいただく

 
シコクビエ粉と水のみ、油も敷かず、手でのばす!

 
大事そうに取ってあったキビ

 
どこもシコクビエの脱穀を中
左の女性は歩けないが、脱穀ならできる

 
できあがった焼酎(ロキシー)は、土カメに保存
蓋は干し葉、ずっと持つ

 
この村(65世帯で300人位)では、
大地震後3-4人村を離れたけれど、その後戻ってきた。
でも仮設の家で寒くて7-8人亡くなった・・  十数人は年中出稼ぎに。
 
全壊の家には30万Rs支援金が出るが、セメントで強く狭い家のみに支払われる
 
 
丸太の養蜂箱からハチミツを採取
縦に層になって蜜ができる
彼は5つ養蜂箱を持っており、年3回収穫し、
ひとつき1万Rsくらいになる大事な現金収入、他は野菜などから

村への道

On a way to next village
次の村へ行く途中
2015年4月の大地震、9千人近く亡くなり、800万人の人々が被災した。
まだ修理できてない教室、ルンビニ郡の村の小中学校

 
他の多くは復興していた
小学校前の子供たちの教室

 
道行く人々が、背負った荷物を置いて休憩どころ(チョウタラ)
ベンガル菩提樹とインド菩提樹を対で植えていることも多い。
経文が刷り込まれたタルチョが風になびく

 
幹線も村々への道もすごい工事中
片側が崖の狭い道をウネウネと何時間もかけて

 
途中の茶店で餅麹が・・・!
これでドブロク(チャン、ジャン)を作る
しきりに「飲んでいけ」とすすめられる・・・

 
ネパールは山と川で分断されており、橋建設は画期的。
多分トンネルはない・・? 
それらが、固有の文化の継承でもあったと思うが・・・

ラディコラ村、有機コーヒー農家へ

for Rahadiko, Lumbini Dis. Organic coffee farm
友人家族と待ち合わせ、中部ネパール、ルンビニ郡ラハディコ村へ
OKバジを通じて村を支援している
夜のトマトチャツネ、カマドで焼いたトマトとショウガ、クミン、山椒!、ウコンをゴリゴリ

 
村では時々牛糞のバイオガスを見かける
毎日かき混ぜ、タンクで発酵させ、ガスとなる

 
収穫終わりのコーヒー豆を収穫、
これで生豆になる
赤豆は1000Rs/kg, 生豆は1200Rsに。
 
コーヒーは半日陰を好むので、彼の農園は、グアバやバナナ、ベリーなども植え、
アグロフォレストリー風に。

 
どこも家畜の草刈りは女性の仕事、
後ろから見ると、動く葉っぱのよう

 
隣家の穀物小屋

 
どこもカマドは美しい
いつも小さなワラ座布団が置かれている

 
今日のダルバットは、ダルスープ、カリフラワー炒め(タルカリ)、
シコクビエや豆粉を練ったもの、白米とチャツネ、ごちそうさま

 
ここで寝さしてもらう
隙間風で結構冷える

 
さっきの生豆を炒って(2400Rs)、ミルで粉に。
水牛ミルクといただく

 
これはミントと胡麻、フェヌグリーク+ニンニク+クミン チャツネ
ゆでた大きなタロにつけて、おいしい!

 
 
この地域の家の形
テラス奥にカマド、1階は、台所、物置、2階が寝室が多い
その奥には、山羊や水牛の家畜小屋、向かいには休憩小屋、
野外にもカマド、トイレとシャワー室、テーブル、
(これは裕福な家だと思う)