2019年9月5日木曜日

シュマッハーカレッジ(2)

Schumacher collage (2)
校内いたるところに、初夏の花が飾られる

 
今日はステファンのDeep Time walk
地球の46億年を、4.6km 歩いて体感する
1歩50万年、2歩100万年・・・
 
  
真ん中がステファン、隣は世話役のキャロライン
サティシュと前身の小さな学校((Small school)を作った
 
 
広大なパーマカルチャーガーデンは、
4-10月Grower と呼ばれるチームが支える
食卓の多くの野菜や果物は、これらの畑から

 
花畑にあったヨーロッパの藍、大青の花と種
アブラナ科の2年生草、中国原産
(その後、南フランスで大藍工房を見つけたが、行けず・・)

 
2㎞弱のダーリントンホールへもよく通った
今日は、大ホールでサティシュのお話
(ここにもクラフトビールのバーあり、野外で乾杯!)

 
そこでEarth Danceを。ペアやひとりで自由に動く
Find your voice もあったよ。
 
 
今日は赤松林の中でサティシュのお話
上右端、ソーヤ海君、隣がサティシュ
1カ月イギリスにいて、丸1日晴れたのは4日
晴れると宝物のよう・・

 
今日もFoot path を1日歩く、foot path はイギリスの宝物
「地中は地主のものだが、地表は公共のもの」という概念があるようだ
(スェーデンも) だから牧草地もどこも歩いて歩いて・・ (必ず閉める扉あり)
モザンビークに1年留学していた参加者のひとり

 
毎朝花々をたくさん摘んで、学内いたるところに飾る

 
お茶とおやつコーナー(24h オープン!)
フレッシュハーブやノンカフェインのお茶もある
右側には小さな冷蔵庫、牛乳や植物性ミルクいろいろ

 
キッチンでヴォリーのソバパンとライ麦パン作り
一晩浸水し発芽したソバの実を、ミキサーにかける
たくさん木の実や胡麻を加えて一晩寝かせて焼く
 
手前の瓶は、11年前にロシアから来たサワードゥーの種
こちらはライ麦用
 
 
工芸室では、工芸週間も始まり
藍染めや土の工作、古布でトートバッグ作りなど
工芸室にあった作品

シュマッハーカレッジ(1)

 
Schumacher Collage by Satish Kumar (1)
トットネスから数㎞先のシュマッハーカレッジへ
インド人の非暴力平和活動家でもあるサティシュクマールが、
アシュラムと大学の間のようなものを作りたく開校
 
毎日おいしい菜食をいただきま~す
ヴィーガンもグルテンフリーもリクエストできる
私は1か月、ほとんどグルテンフリーで過ごせた
 

 
牛乳以外にも、オーツ(大麦)ミルク、米ミルク、
アーモンドミルク入り、ココナッツミルク入りなどたくさあるよ

 
夏の始まり、花々の咲き始め

 
これは、Tokyo Urban Permaculture のソーヤ海君主催の体験週間
毎朝瞑想で始まり、授業前にコミュニティワーク(食事の片づけや準備、菜園)もあり
3分の1以上は、学校(建物)の外へ


学校は赤松(セコイヤ)の森の中にある
堆肥置き場近くのコンポストトイレ
入口の長い金属のチャイムが、それは美しい音色をかなでる

 

トットネス(1)トランジッション・タウン発祥の町

Totness (1) Transition Town
6月中旬、ほとんど30年ぶりのヨーロッパへ
まずトランジッションタウン発祥のトットネス(イギリス南部)へ
広場の周囲には、大きな有機の店、英語学校、訪問センター、シティホール他あり、
週末には、食べ物や蚤の市、クラフトマーケットも開催
 
ハイストリートには、多くのチャリティの店(動物愛護、ガン調査、国際NGOなど)、
コミュニテイ図書館、死者を気持ちよく送るための手助けをするグループ、
オルタナティブな本屋、おいしい菜食レストラン、有機綿の店などが並ぶ

 
上下ともEdible Community Garden
地域の食べられる菜園
市と協力し、ボランティアが定期的に集まり世話を。
ハーブやトマトなど、収穫していいものには、名札あり

 
地域起こしの一環でできたクラフトビール
金曜日は醸造所にバーができる!
(隣には、ワインバーあり)
 

2019年5月30日木曜日

ハンセン病療養所へ

Hansen's disease's Rest Home
ここは、全国に14か所(内6か所は島)にあるハンセン病療養所のひとつ、
国立第1号の長島愛生園(岡山)
かっては、専用列車とトラックや船、専用桟橋から療養所に送られた
戦後は子供達も多く、園内に小中学校もあったが、資格を持った教員はいなかった。
 
1931年らい予防法制定後、無らい県運動拡大、
1943年プロミン薬ができ、治る病気となる
1948年優性保護法の対象になり、断種が合法化、
(日本は出産禁止、マレーシア・フィリピン・ブラジルは出産後養子に)
1996年らい予防法廃止、

 
ここはかっての職員地帯で、入居者が近づくことは禁止されていた
今は歴史館となり、見学者がハンセン病を学び、
多くの人権問題を考える活動をしている
 
今後は、人権学習の場や世界遺産への登録も申請中
職員が繰り返して話していたのは、
「現在いるひとたちは、ハンセン病の後遺症がある障がい者」
初期症状は、皮膚の無知覚、それでやけどしたり、傷を負うことも多い。
 
 
世界のハンセン病患者は、約22万人、
インド13万人、ブラジル3万人、インドネシア1万7千人、日本1人
1985~2014年、MDT(多剤併用療法)でな治ったひとは1700万人。
 
ハンセン病は、結核菌と同じ抗酸菌の仲間で発症
栄養や免疫力の弱い状態で多くの細菌に長期間接しない限り、感染も発症もない。

 
ここに送られてきた入居者は、現金など取り上げられ、この消毒風呂に入り、
裸の写真を撮られ、縞模様の服を着せられた
 
 
それらは、この収容所(回春寮)で行われ、1週間のち寮へ
 
この上には、逃走したり園の規則を守らなかった人たちが、入れられた監房がある。
2重鍵で窓もほとんどなく、
オニギリ一個+たくわん二切れ+コップ半分の水が、2食のみ、
拘束する権限は園長にあり、裁判もない、1930年の開園から1953年まで続く。
 
その後、患者運動による自治権の獲得、患者作業の禁止、入居者給油金の創設、長島架橋の実現、らい予防法廃止、国賠訴訟の勝訴など長い歴史が続く

 
全国の療養所の平均年齢87才、平均在園年数60年、全国の入居者は1700人、
現在も、治癒しても地元に帰れないひとが多く、
偏見や差別のため家族が遺骨を引き取れないことも多い
本名でないまま亡くなる人も多く、この療養所の半分のひとたちは園名のまま。
 
長島愛生園へのバスや船でのツアーはHPから申し込み
 
6月半ば~8月半ばまで14年ぶりのヨーロッパへ
まず中国へ船で、そしてシベリア鉄道で北欧へ、ではなく今回は飛行機で。

実家の墓終い

The ending of grave
実家の仏壇閉眼~霊園の墓じまい~母の一周忌と永代供養を知り合いの禅寺で。
4代(その前は土葬で墓はない?)の家の骨壺を一つにまとめる
奥の小さな骨壺は子供か?
私が生まれる前に死んだ兄は、土になっていた

 
高知に生まれ、5才までは四万十市(旧中村市)の祖父母の家に、後に高知へ。
旭駅近くの家から18才で隣町へ引っ越し
20-30代は数年帰らないこともあったが、50代始めからは、1~2カ月毎に介護帰省
その母は、脳溢血の後遺症で、数か月意識不明のまま病院で死亡、93才
 
最後の高知、数日後には、取り壊し更地に。
最後の日は、近所の人たちが来て、
庭の鉢やレンガ、納屋の鍬や野菜苗など持って行ってくれる
 

 
父は30年前に事故死、母が亡くなったあと、それはたくさんの事務的なことがあった
ひとが死ぬと、こんなにたくさんのやらねばならないことがあるのだろうか・・?
で、シングルのひとは・・?

初夏の庭と採集

from small garden in first summer & collecting
久々にローチョコを作る
デーツの代わりに雑穀甘酒+ココナッツオイル+ローカカオ粉+キャロブ粉
お好みで、ショウガ汁やラム酒、酒粕、
トッピングは、ビルマの黒クルミ、スライスアーモンド、カカオニブ、レッドペッパー他


最後の山椒を摘み、味噌を混ぜて山椒味噌
後ろは、やっと根付いたローズマリー
こちらは、タイムと混ぜてハーブソルトに
 

 
高知県立美術館近くのムクロジの木 (大きい!)
浸水させた液で洗濯や食器洗い、洗髪も。
インド大陸~東南・東アジア~日本~インドネシアまで
照葉樹林帯の大切な多目的樹のひとつ

 
高知の実家近く、ソメイヨシノのサクランボ
中々大きな実の付いている木は少ないのに、こんなにたわわに・・
酵素ジュースにして、大人の少し苦みのある紫色のカクテルに

 
小さな菜園のからし菜のこぼれ種
今年は河原に採りに行かずに、これで作る、何を・・?
袋の中で、かわいい音がしてはじける
大袋一杯詰めても、種はカップ2杯くらい
 
そして、リンゴ酢などを混ぜて、それはおいしいマスタードに!

 
知人からもらった裸麦(大麦の1種、万年青)
麦茶やご飯に混ぜたり、粉にしたり・・

 
やっと玄関を冬カーテンから衣替え
オーガンジー風絹布の草木染布がゆれる
 
タデ藍湯漬け発酵の薄紫~オリーブ色、ウメノキゴケの赤紫、
インド茜のオレンジ色、タデ藍・生葉染めで水色など
 

醬油作り

Making Soy Sauce
アパートで毎年醤油を作っている
今年はみなが好きな塩を持ち寄った
(塩が専売公社に独占されていたころは、Nacl 99.8%くらいの塩しかなかったが・・・)
 
 
長野から取り寄せた醬油麹(炒った小麦を砕いた麹+大豆麹)と
塩を混ぜる

 
湧き水を混ぜて仕込み終了

 
梅雨明けまで1週間に一度天地返し
その後は1か月に一度、
毎回樽の表面と中の温度や湿度、混ぜたときの感じやにおいなどを記録中
 
そして真冬に、いつも2か所合同で絞り絞り師にきてもらう