2026年9月28日月曜日

ううベキスタン タシケント、工芸博物館、雨の成田へ


ブハラ郊外の広大な綿畑

ロシア時代、大量の農薬→天敵での害虫駆除など
(世界の農薬お3分の1は、綿農園で!)
大量の灌漑→点滴灌漑、排水は塩湖や沼地へ

昔の大量灌漑により、塩分が地表に露出、塩分に強い木の植林中
 今は集団農場が企業となり、数万の小規模農家が、その下で
契約栽培(種や肥料、天敵、出荷まで)の
契約栽培のようだ、農協みたいね


国立工芸博物館へ
もとロシア公使の私邸、美しい石よ


入り口の天井




こちらも天井




ヒョウタンのスパイスや噛みタバコ入れ





フシュタク、これにずっと出会いたかった
ブハラ近郊で作られ、土笛にもなる。子供の玩具や、魔除けにも。

中央アジアの新年である春分(ナウルーズ)で。この笛を吹き、
春の到来を喜び、方策を祈る行事にも使われてきた



博物館中庭、柳の木陰でひとやすみ
近くには、アフガニスタンレストランもある


道端のプラウ作りの鍋


今日は、韓国料理屋へ
何か注文すると、このようにキムチの小皿がいっぱい、下段のビビンバ注文
白菜にモヤシ、豆腐など、久々に様々な野菜を食べた夜


道端の家

タシケントの宿のセルフビュッフェの朝食で
まめに小さな子供の世話をしている人が、話しかけてきた

十数年前に単身アメリカへ移住したタジク人で、トラック会社を経営中
毎日1000kmほど走るので、体重も増え腰痛あり。。年に数回帰国。
もうすぐ第2子を妊娠中の妻と子供が、アメリカへ移住

タジキスタン1100万人のうち、15%が海外へ出稼ぎ(労働年齢の25%)
ほとんどはロシアだけど、最近は韓国も多い
2010年まではロシアの出資が多かったけれど、最近は中国が多い
トンネルは、イランや日本の出資

妻とは、4−5回会って結婚、今もお見合いが多い
離婚したときは、子供は母親がみるが多い
法律はないが、父親が経済的サポートはする(日本と反対ね)


タシケント空港
ロボットのコーヒー屋


今回は、タシケントから成田直行(ウズベキスタン航空)
他に中央アジア直行はないが、ソウルからはあちこちへ飛ぶ


これが有名無実の滞在証明書
ウズベキスタンのみ、今だロシア時代の名残が。。
滞在した宿で、このような滞在証明書を発行してもらう
夜行列車や、知人の家やユルト泊の時も必要
ほとんど入管で見せる必要な時は、ないけれど。。



今までで一番楽しい救命具の付け方
時代劇風にして。。


ウズベキスタンの映画2本(Tagib, UYA)見ながら、ご飯
菜食を頼んだが、今までに一番良くないかも。。
ドレッシングもないような、キュウリとトマト、果物とコッペパンのみ
+蒸し炒め風野菜 (強くおすすめしない)、お酒は出たよ


さよなら中央アジア、次は緑の多い5−6月ごろに。

タジキスタン西部ファン山脈や、キルギスタン中国国境ナリン、
カザフスタン森林のある北東あたりへ

今回陸路国境越えもあちこちあることがわかったので、次回はもっと陸路で移動しよう
荷物をもっと軽くして


自炊用に持参してよかったもの
粉末醤油と味噌、添加物なしの中華出汁の素、
(残り物を入れる)軽いプラ容器2個、さや付きナイフなど

次は、マルチプル充電コンセント
浄水機能付き小型水筒も。

今回もよく歩いた、1ヶ月中20日以上は、7km以上歩く
でもあまり標高差はなく、ハイキングか平地だけど。
それでも3週間以上は、2000m以上の山にいて(キルギスタンとタジキスタン)
最高標高は4600m(タジキスタン、レーニン峰の手前の峠、4WDで)

2ヶ月半ぶりの日本、成田は雨、ああ、日本に帰ってきたのね
帰国後一番驚くのが、聞こえる全て言葉(意味)がわかるということ
中央アジアは、ロシア語も現地語もわからず、いつも四苦八苦していたから。。

成田から横浜のスーパー銭湯に直行し、翌日京都へ