2026年10月8日木曜日

朝鮮半島平和の祭典 DMZ Gathering (1) 10月1日 前夜


カザフスタン マンギスタウ、古代テフス海底から
上から右へ;
#べレムナイト、軟体動物の骨格の一部
(水晶かと思っていたら。。)
#フリント、成分は二酸化ケイ素で水晶と同じ
#小さな貝の化石

すべて中世代、白亜からジュラ期(恐竜がいた頃)


出発前日、知人がくれたマコモを干す


2日前に航空券を、前日にソウルの宿を予約
この雲の道を歩いて、遠くへ行くのだ


初韓国が近い


仁川空港、ゲート4近くの情報センターの隣にあるのは。。
在韓米軍基地(USFK)への新入隊員や関係者のレセプションセンター
民間機で来て、空港から米軍基地まで、送迎バスで直行

日本も成田空港には、日米地位協定の特別レーンを出て、
目立たないDOD Desk があるそうだ
あるいは、米軍チャーター機で、米軍基地へ直行


仁川空港からバスでDMZ(Demilitarized Zone、非武装地帯)へ
1953年、朝鮮戦争休戦協定で、
軍事境界線(約250km)から南北に2kmずつ設定された緩衝(カンショウ)地帯
貴重な自然が残っている場所でもある

ソウルからわずか52km! 途中の休憩所には、乳母車と車椅子の貸し出しあり


ここ、韓国DMZ平和生命園(Korea DMZ  Peace&LifeVally)は、
生命の尊重と平和への願いを掲げた広大な環境文化の研修センター
2009年、民間主導のアイデアと地方自治体(江原道、カンウォンド)の
強い後援により誕生した


自然農
体験、学術研究、環境教育、瞑想、平和や歴史セミナーなど
命を育て、平和を祈る特別な場所


本館、ここで美味しいご飯や毎朝の会議
韓国人40人と日本人が30人ずつほど、他の国籍の人々が10人ほどかなあ


ゴミ分別


たくさんの環境や自然に関した絵本


種バンクのように、在来種の種がたくさん!


台所隣の温室、農機具小屋


豆や雑穀、米


台所の外には、大釜と薪ストーブ


韓国の草刈り鎌と草抜き、日本と同じ形


多分ドイツ製の太陽調理器
こんなに大きくなく小さなものは、自分でも作れるよ


(毎回本当にシンプルで、美味しかったなあ)
野草(コンドレー、コウライアザミ)いっぱいご飯、3年ものキムチ、
雑魚味味噌汁、キュウリとワカメの和物


マッコリ(ドブロク)用、餅麹
これで20kgのマッコリができる! 冷凍可
後述のマッコリ作りの人が持参



バケツ稲


広大な敷地は、12.4ha(東京ドームの2倍半)


上記の建物には、たくさんの太鼓(チャンゴやブク)あり


液肥と堆肥場


左から;太陽調理器、自転車発電機、太陽温水器、窓の外には太陽パネル



2025年に始まったDMZ Gathering



太陽光トラッカー
太陽の角度に合わせて、自動で動く


今日は、10cmくらいの水餃子、隣は硬い豆腐


明日から夜は、ここでコンサート


3日間の日程表



種の話を聞けなかったのは、残念。。


魅力的な在来種の種たちよ


 

 

2026年9月28日月曜日

初秋の京都から タネの交換会


早速近所の友人の子供と、夏のな残りの花火


この何年か夏は部屋にいないので、小さな菜園は、ジャンブルのよう
今年はソバ菜がすごい、段差もわからず、(手前は雨水ため鉢)
4m先の生ゴミコンポスト入れ(一番奥、クワズイモの下)まで、取りあえず草刈り
鉢のユーカリと波照間島から持ち帰った月桃が、グングン育っていた

何か夏用雑草防止のアイデアある?


ミセバヤが、寄せ植えのようになっていた


久しぶりに、堺町画廊のたねの日へ(春秋2回開催)


ILcielo の玄米パンセットを受け取り、友人の有機野菜を購入

自然栽培の池添さん(ほっとけn農場)のお話は、目からウロコも多い
戦争の時は、種バンクが狙われる
伝統の種は、人より安全な蔵などに保存し、嫁に持たせた
腐葉土は100年で1cmしかできない
今の農家は、温暖化と災害、獣害のトリプルパンチ



タネの交換会
私があちこちで見つけた雑穀の種を、友人が発芽させ、ここにも登場
彼は、発芽名人ですごい


10月は、京都あちこちで開催される パレスチナのかけら


アパートの部屋の入り口には、絹インドオーガンジー、草木染めの布がなびく
部屋にはいつも次の旅行用の草カゴがあり、気づいたら、必要なものを入れておく
次はどこかな?
長生きするともしたいとも思わず、旅の途上で、大樹の下で旅立つのもいい


ある日の夕飯
ゴーヤ浅漬け、ドブロクのアーモンドミルク割りにカルダモン粉、炒り籾殻玄米茶
大皿;玄米パン、蒸しナスとオクラに味噌、黒胡麻豆腐、アボカドにアンチョビ








 

 



ウズベキスタン タシケント、工芸博物館、そして雨の成田へ


ブハラ郊外の広大な綿畑

ロシア時代、大量の農薬→天敵での害虫駆除など
(世界の農薬お3分の1は、綿農園で!)
大量の灌漑→点滴灌漑、排水は塩湖や沼地へ

昔の大量灌漑により、塩分が地表に露出、塩分に強い木の植林中
 今は集団農場が企業となり、数万の小規模農家が、その下で
契約栽培(種や肥料、天敵、出荷まで)の
契約栽培のようだ、農協みたいね


国立工芸博物館へ
もとロシア公使の私邸、美しい石よ


入り口の天井




こちらも天井




ヒョウタンのスパイスや噛みタバコ入れ





フシュタク、これにずっと出会いたかった
ブハラ近郊で作られ、土笛にもなる。子供の玩具や、魔除けにも。

中央アジアの新年である春分(ナウルーズ)で。この笛を吹き、
春の到来を喜び、方策を祈る行事にも使われてきた



博物館中庭、柳の木陰でひとやすみ
近くには、アフガニスタンレストランもある


道端のプラウ作りの鍋


今日は、韓国料理屋へ
何か注文すると、このようにキムチの小皿がいっぱい、下段のビビンバ注文
白菜にモヤシ、豆腐など、久々に様々な野菜を食べた夜


道端の家

タシケントの宿のセルフビュッフェの朝食で
まめに小さな子供の世話をしている人が、話しかけてきた

十数年前に単身アメリカへ移住したタジク人で、トラック会社を経営中
毎日1000kmほど走るので、体重も増え腰痛あり。。年に数回帰国。
もうすぐ第2子を妊娠中の妻と子供が、アメリカへ移住

タジキスタン1100万人のうち、15%が海外へ出稼ぎ(労働年齢の25%)
ほとんどはロシアだけど、最近は韓国も多い
2010年まではロシアの出資が多かったけれど、最近は中国が多い
トンネルは、イランや日本の出資

妻とは、4−5回会って結婚、今もお見合いが多い
離婚したときは、子供は母親がみるが多い
法律はないが、父親が経済的サポートはする(日本と反対ね)


タシケント空港
ロボットのコーヒー屋


今回は、タシケントから成田直行(ウズベキスタン航空)
他に中央アジア直行はないが、ソウルからはあちこちへ飛ぶ


これが有名無実の滞在証明書
ウズベキスタンのみ、今だロシア時代の名残が。。
滞在した宿で、このような滞在証明書を発行してもらう
夜行列車や、知人の家やユルト泊の時も必要
ほとんど入管で見せる必要な時は、ないけれど。。



今までで一番楽しい救命具の付け方
時代劇風にして。。


ウズベキスタンの映画2本(Tagib, UYA)見ながら、ご飯
菜食を頼んだが、今までに一番良くないかも。。
ドレッシングもないような、キュウリとトマト、果物とコッペパンのみ
+蒸し炒め風野菜 (強くおすすめしない)、お酒は出たよ


さよなら中央アジア、次は緑の多い5−6月ごろに。

タジキスタン西部ファン山脈や、キルギスタン中国国境ナリン、
カザフスタン森林のある北東あたりへ

今回陸路国境越えもあちこちあることがわかったので、次回はもっと陸路で移動しよう
荷物をもっと軽くして


自炊用に持参してよかったもの
粉末醤油と味噌、添加物なしの中華出汁の素、
(残り物を入れる)軽いプラ容器2個、さや付きナイフなど

次は、マルチプル充電コンセント
浄水機能付き小型水筒も。

今回もよく歩いた、1ヶ月中20日以上は、7km以上歩く
でもあまり標高差はなく、ハイキングか平地だけど。
それでも3週間以上は、2000m以上の山にいて(キルギスタンとタジキスタン)
最高標高は4600m(タジキスタン、レーニン峰の手前の峠、4WDで)

2ヶ月半ぶりの日本、成田は雨、ああ、日本に帰ってきたのね
帰国後一番驚くのが、聞こえる全て言葉(意味)がわかるということ
中央アジアは、ロシア語も現地語もわからず、いつも四苦八苦していたから。。

成田から横浜のスーパー銭湯に直行し、翌日京都へ