Hansen's disease's Rest Home
ここは、全国に14か所(内6か所は島)にあるハンセン病療養所のひとつ、
国立第1号の長島愛生園(岡山)
かっては、専用列車とトラックや船、専用桟橋から療養所に送られた
戦後は子供達も多く、園内に小中学校もあったが、資格を持った教員はいなかった。
1931年らい予防法制定後、無らい県運動拡大、
1943年プロミン薬ができ、治る病気となる
1948年優性保護法の対象になり、断種が合法化、
(日本は出産禁止、マレーシア・フィリピン・ブラジルは出産後養子に)
1996年らい予防法廃止、
ここはかっての職員地帯で、入居者が近づくことは禁止されていた
今は歴史館となり、見学者がハンセン病を学び、
多くの人権問題を考える活動をしている
今後は、人権学習の場や世界遺産への登録も申請中
職員が繰り返して話していたのは、
「現在いるひとたちは、ハンセン病の後遺症がある障がい者」
初期症状は、皮膚の無知覚、それでやけどしたり、傷を負うことも多い。
世界のハンセン病患者は、約22万人、
インド13万人、ブラジル3万人、インドネシア1万7千人、日本1人
1985~2014年、MDT(多剤併用療法)でな治ったひとは1700万人。
ハンセン病は、結核菌と同じ抗酸菌の仲間で発症
栄養や免疫力の弱い状態で多くの細菌に長期間接しない限り、感染も発症もない。
ここに送られてきた入居者は、現金など取り上げられ、この消毒風呂に入り、
裸の写真を撮られ、縞模様の服を着せられた
それらは、この収容所(回春寮)で行われ、1週間のち寮へ
この上には、逃走したり園の規則を守らなかった人たちが、入れられた監房がある。
2重鍵で窓もほとんどなく、
オニギリ一個+たくわん二切れ+コップ半分の水が、2食のみ、
拘束する権限は園長にあり、裁判もない、1930年の開園から1953年まで続く。
その後、患者運動による自治権の獲得、患者作業の禁止、入居者給油金の創設、長島架橋の実現、らい予防法廃止、国賠訴訟の勝訴など長い歴史が続く
全国の療養所の平均年齢87才、平均在園年数60年、全国の入居者は1700人、
現在も、治癒しても地元に帰れないひとが多く、
偏見や差別のため家族が遺骨を引き取れないことも多い
本名でないまま亡くなる人も多く、この療養所の半分のひとたちは園名のまま。
長島愛生園へのバスや船でのツアーはHPから申し込み
6月半ば~8月半ばまで14年ぶりのヨーロッパへ
まず中国へ船で、そしてシベリア鉄道で北欧へ、ではなく今回は飛行機で。