カトマンズ盆地の東、ドゥリケルからさらに東へ
ここらは、9月末の洪水の被害も多く、死者も出た地域
こんな土砂崩れの脇を通りながら
ここは、HASERA Permaculture learning Center(HPあり)
年間通して、デザインコースや様々な学びができる
以前中部ネパールで活動していた時、カウンターパートにもなってくれた
前回は、パーマカルチャー実践コースの一部に参加
今はゲストの部屋もあるので、宿泊のみでも可
種銀行
ここも急傾斜の土地なので、狭い面積を工夫して野菜や果樹を植える
敷地の奥には、女性グループの工房
古布や茜染の綿布で、小袋や生理用ナプキンを制作
10人ほどのメンバーが、おそろいの服を着て、毎日制作中
この太陽温水器は、72時間温度を保てるというすぐれもの
(でも、どうして自分たちで作らなかったのだろう・・?)
手前の新しい建物(会議室やゲストの部屋)の屋上から
私の部屋のテラスのように、ここもいつもなにかに干している
上から左回り:青菜(クンドゥク用)紅茶、菜種、ジプシーの皮、
トウガラシとカボチャの種、柿を籾殻に入れて、熟らさせていた
お茶の木
お気に入りのテラス、ランチはここで
里芋風を収穫、葉も食べるよ
食事と菜園スタッフ
右手前が、設立者のゴビンダ。彼は、本当の農村開発の実践者
今は世代交代で、息子たちに引き継ぎ中
数年前から、あちこち改修・建て増ししている
広く使いやすくなった台所
今日のダルバード
みなご飯は、この4倍くらい食べるよ
ひよこ豆や大豆、トウモロコシ粉を炒って、粉にし、販売もする
銅の大鍋でたくご飯
マシュウラ(タロイモと葉、黒豆をゆでて、混ぜ、2-3日干して、揚げたりしておかずに)
手前:ラプシーアチャール(種付き実を炒めて、塩やいっぱい砂糖、
ジルやフェヌグリーク、パセリ、山椒などスパイスをいれて保存食に
台所や畑スタッフの子供たち、学校前の朝ごはん中
みなが見つめているのは、スマホゲーム
一番小さな子供は、スマホ中毒くらいに見える・・
キノコをヒヨコ豆粉で天ぷらに、おいしい
明日のファーマーズマーケットに持っていく野菜
真鍮の重たい深皿で、夕飯、
水牛のダヒ(ヨーグルト)とパパッド(豆粉で薄いせんべい風)付き
ドウリケル公立病院の敷地で、3回目のファーマーズマーケット
十軒ほどの出店だが、すごい人、病院勤務者や患者や家族も。
HASERAからは、蜂蜜、炒り穀物粉、野菜などを。
左から:ラビナ(保健師)とビギャン、ミツゥ(ゴビンダの妻)
(ビギャンの双子の弟のビベックは、高地で参加型システム研修の講師で。
その後、IPC15台湾で会う)
米粉でうまく丸くして、ココナッツミルクと砂糖のあんを入れて蒸すユーマト
病院の敷地内には、それは高いコーヒーの店と病院製造のアロマオイルなどの店もあり
外国人の医者も時々見かける
こちらは、赤米や粟、亜麻(フラックスの種)など
他にも有機野菜、ヤクのギー、アボカドやキノコなど
手前はカボチャの茎
カトマンズのラト バンガラ(Rato Bangala)学校から
学生が10人ほど6日間の研修(国際学習のひとつ)に来ていて、私も時々参加
今日は、村人の話を聞きにやってきた
右側:改良型カマド、彼女の手作り
保育園~高校まであり、ランチ込みの授業料は、毎月4万円(かなり高額)
ネパールで初めて、子供中心の学習を導入
批判的に考え、挑戦を受け入れる、
心の広い世界的市民になるよう、成長する生涯学習の場として創立
全生徒1000人、教員150人、校長は女性
ここらもだんだん畑が広がる標高1900m
学生と村々を歩く
土砂崩れの後があちこちに残る
!
晴れると、ヒマールの山々が現れる
本箱から「農民ハンドブック・シリーズ」
右上から時計回りに
*家の中:改良カマド、米の保存、病気と栄養など
*家の周辺:排水利用法、堆肥、トイレ、家庭菜園、自然農薬、養蜂、石積
*牧草地と森林:挿し木など
*農地:輪作、土地利用、果樹園、マメ科植物
みなでモモ(蒸し餃子)作り
基本菜食なので、肉ではなく、大豆ミートやキノコを入れて。
包んでいるのは、みな男子生徒
ランチや夕食は、こんな風にビュッフェ形式で
テラスでいただきまーす
晴れると現れるヒマールの山々の図
今日は敷地の薬草を摘んできて、薬効を調べる
シダ(耳鳴り)、ヨモギ(ティティパティ)、ナスタチウム、山椒
サンダルウッドやホーリーバジル、ハイビスカスやイラクサ(シスヌ)など
他にも、パーマカルチャーとは?、米引き小屋、農場歩き、
紅茶やギー作り、保存食作り、昆虫などを学ぶ1週間
ラリプールの屋台で食べたパニプリを作る
甘酸っぱいソースも。
明日は、学生の研修の最終日なので、アミンが摘んできたマリーゴールドで花輪作り
出発の2日前、イスラエルで徴兵を終えて1年たったアミンが来た
特定の部署(パレスチナ人を殺す)に行くのは拒否したので、情報部門に4年間いた
(通常、男性は3年間、女性は2年間の徴兵期間)
エベレスト・ベースキャンプの下、5300mまで、無酸素で一人でゆっくり登ったという
テルアビブでは、毎日国中から多くの人々が集まり「即時戦争終結、総選挙、
即時ネタニヤフ退陣」をスローガンに、デモが繰り広げられていいる
花火も上げる、当局も時間内はデモを許可する。時々見せしめに逮捕するが、2-3日で釈放
「今後、どうしたらいいか?」
自分もデモにも参加していたが、残念ながらあきらめた。
この後、オーストラリアやカナダでワーキングホリデーのあと、移住したい。
今は2-3日に一度、短期間の軍への出頭要請がメールで来る。
昨夜は、今は別々に旅している彼女の親友(兵士)が殺され、深夜まで話しこむ
私にまで! また来るよ、ネパールの村々