2023年9月26日火曜日

ブハラからタシケントへ列車旅、アミニの死から、ソ連軍として


毎朝、朝食前に散歩に来ていた広場
朝晩は寒くて、ショールをはおって。


南東の公園に行くと、第二次世界大戦中(1939−1945年)にソ連軍として参戦し、
亡くなった兵士の記念公園があり、
兵士の名前を一人一人見られるようになっていた。

ソ連のアフガン侵攻(1978−1989)にも、同じく参戦させられ、初期には多くの人が亡くなった


道端の一本の木から作る木彫り、糸ノコで細かく掘り出していく。
コーランを置く書見台


本当にたくさんの素敵なドアに出会った



踊り出すようなアラビア文字のカリグラフィー


一面の収穫後の麦畑を過ぎ。。


空いているように見えるが、サマルカンドでたくさん乗車し、満員に。
水やコーク、ハンバーガー(?)、バナナなど売りに来る。
砂糖入りレモンティー、3in1のコーヒーは、5000ソム
トイレの手洗いの水は出て、トレペもあり。小さな冷蔵庫もあったよ。


サマルカンド駅構内にて、
ここのナンは有名で、お土産に買っているみたい

隣のキオスクでは、インスタントラーメン(列車内に必ず給湯器はある)、ビスケット、
それは大きなソーセージ、サモサ、ゆで卵、ひまわりの種などあり


二番目に早い特急シャルク号
ブハラ16時発ータシケント22時半着


ブハラの最後の朝
切り出した石の色が美しい


9月19日、今日はイランでクルド系アミニが、スカーフをキチンをつけてないと、
道徳警察に連行され、その3日後に死亡して1年目。
その後、イランでは、(女性、命、自由)を掲げて命がけのデモが広がる
500人以上がそのために殺され、10人近くが処刑された。
今日は世界で抗議デモが、イランでも、スカーフをつけない女性たちも歩く。

私は1年前のこの日、サマルカンドにいた。
それを知らされたのは、同宿のイラン人バックッパッカー3人組の1人から、
彼からのメールは突然途絶えた、どうしているのだろう。。

ウズベキスタンの南はアフガニスタン、西はトクルメニスタン、
それぞれの隣国がイラン、イランは近い国

時々自問する。。
もし私がそのような国に生まれ、海外に(どころか家の外に)も行く自由がないとしたら、
どうするのかと。。