ジャクルガン塔(ミナレット)の看板
左から:ウズベキスタン語、英語、ロシア語
カザフスタンやキルギスは、もともと騎馬遊牧民だったので、古来は文字は持たなかったというが、キルギスは、1800年代アラビア文字→1926年ラテン文字→1940年代キリル文字に。
ウズベキスタンは、1900年初めまでアラビア文字→
ラテン文字→キリル文字→1991年ロシアから独立後、ラテン文字に変更中
ロシア語を公用語としている他の国々とは違い、
ウズベキスタンは、ウズベク語のみを公用語としている
言語は自分のルーツに関わるので、とても大切。
中部メキシコの村で、青年たちと育苗場を作っていた時、ホームステイ先の彼らが、
メソティソ(ダブル、混血)かインデヘナ(先住民)かどうか、最後まで聞きずらかった。
両親(育ててくれた人)が子供に何語で話しかけたか、
育てたかが母語となると聞いたことがある。
高さ21m、直径は5.4mもある塔
近くの水路にかかる橋、
ウズベク人のこういったセンス、デザインには、よく驚かされる
橋の向こうには、小さな水車
今はほとんど水がないので、動いてないけれど。
小さな町外れの墓地、土に戻るだけなのだ。
家族のお墓にではなく、個人のお墓に。
ここらでは、人が亡くなると、遺体はすぐ土に戻し、3日間午前中人々が集まり、
ひたすらコーランを読み、ご飯を一緒に食べる。
その後、7日目、40日目、毎年命日に人が集まるという
西アフリカ、マリのバグブー村にいた時、本当に人は簡単に亡くなっていった
マラリアや他の感染症、AIDSなどで。
畑の向こうの丘に穴を掘り、人を埋め、少し盛土し、
動物が荒らさないようトゲの木で覆う、それだけだった。
カンピル テパ(古代の町)の城壁
紀元前4C頃
これらは、いつか化石と呼ばれるようになるのだろうか。。?
城壁の向こうには、小麦を収穫し終えた畑が延々と広がる
ここにも発掘し終えた陶器のカケラが、散らばる