今日はアンナの親戚(父方の叔父さんの孫娘)の結婚式のガールズパーティに、
隣県まで花束を抱えて一緒に行く。
新婦は、なんと19歳の学生!
7回くらい衣装(半分はベール付き)を変え、いつも伏せ目、
相手に敬意を表すために左胸に手を当てて、参加者のテーブルに全て回り3回お辞儀する
新婦の祖母は、ドイツ人!
(夫は、第2次世界大戦後、捕虜となったドイツ兵かもしれない。。)
右隣の女性は、両親がウラジオストックから来た朝鮮民族、
多分1937年、スターリンの強制移住による。
子供2人は、韓国で長年働いており、孫たちは公立の学校に。
彼女の夫はウズベク人で、韓国料理は時々、ハングル後も少しだけ。韓国へも行った。
その隣は、アンナ(緑のドレス)の両親
歌手も演壇で歌い、そのあとは皆踊るよ、踊る
手前の彼女の踊りは美しく、とても楽しそうに踊る
私も踊り、なんと2人からスカーフを贈られ、おひねりまで。
それは会場に置いてくるものだと、後で知る。。
数少ない男性も、踊り始めると。。
女性たちは美しく着ているのに、男性は普段着が多い、なぜ。。?
子供たちも、小さな時から踊るのねえ
新婦の両親も兄弟姉妹たちも、彼女に涙のお別れを。
2時間くらいして新郎も男友達に連れられて現れ、昼過ぎにお開き後、
2人は新郎の両親の家へ。
1−2週間のち、夫婦はタシケントへ引っ越し、
女性は大学に戻り、男性は銀行勤めを続ける
夜は新郎の家で、またパーティがあり、アンナは出かけていった。
1日おきくらいに、結婚式他に出かけているような。。
宿の居間にあった衝撃的な写真集
(オープンハートなウズベキスタン)1989年刊
ベラルーシ出身、マックス ペンソン(Maks Penson 1893-1959年)
1920−1950年代の写真か?
皇帝のロシア帝国ー1917年崩壊、レーニンが率いる共産党のソビエト連邦に
ー1991年ソ連崩壊、ロシアとなり、多くの国々が独立
ベールを取り集会に行っただけで、拷問の末殺される
教育プログラムに参加したら、体を刻まれ殺される
夫が3回言葉をとなえれば、離婚できる
女の子より、石を産んだ方がいい、なぜなら、石は家を作るときに使えるだろう?
(google翻訳なので、かなり曖昧だけど。。)
(これらの時代について、知っていたら、教えてほしい)
ロシア革命以前の慣習と伝統から人々を解放する運動の中に、
フジュム(女性解放運動?)も含まれたようだが。。?
これらは、ウズベキスタンだけではなく、
中央アジアの他の国々も同じような状況だっただろう、わずか100年近く前のこと。
現在もそのような状況の国々はあるし、それらがさらに強まっている国々もある
アンナ(40代後半)との話
ひ祖母は、ドッパ(頭にかぶる帽子)+何枚ものスカーフをその上に+長いショール
祖母は、ドッパ+長いショール
毋は、ドッパのみ
自分は、短いスカーフで頭を覆う
(自分は毎日5回お祈りする、夫はお祈りしないし、お酒も飲む)
そうか、そうして女性たちは、段々と頭や体を覆うものを、なくしていったのね