2025年10月8日水曜日

オランダ ア−ネム(2)Fenix 移民ミュ−ジアム、Belvedere 伝承の家


オランダ西インド会社ができた17世紀ごろから多くの移民船が、
ロッテルダムからアメリカに出発した

今は、ホテル ニュ−ヨ−クとなったここから


約束の鍵、奥のらせん状の建物に向かう


ここはFénix、 移民のミュ−ジアム、2025年5月に開いたばかり
到着と出発、アイデンティティ、故郷への想いを語る進化していく場所
オランダ語クラスや食事会もあり

移民、難民に保守的になってきている多くの世界の人々、特に政治家も訪れてほしい



移民の家族 常設の写真展
136の写真家が撮った 55カ国の移民、難民たち

国別、年代別でもなく、それぞれの写真の説明の小冊子あり



北アフリカ経由で地中海を目指す小さなボ−ト
毎年多くの人々が命を落としている



1989年、ベルリンの壁崩壊
右上;東ベルリンから鉄条網を超える兵士

1988年、私は中国からシベリア鉄道に乗り1週間でモスクワへ。
さらに2日後、西ベルリンの壁博物館にいた。
そこでこのカ−ド(右上)
を手にした


2時間以上かけて、全てよく見て、説明も読んだ
それは多くの人々が訪れて、じっくり見ている


時間をかけて、海を渡った移民たちに話を聞き、2000個のトランクを集めた
また海を越えて、ここに戻ってきたトランクたち(と思う)





アメリカ、メキシコ国境での日雇い労働者


多国籍なこの街で、出会い話した人々



移民、難民たちが通った
長い道のりをイメ−ジしたであろう螺旋状の階段を登ると、屋上へ


パレスチナの旗


近くのBelvedere(story house)へ
1階はレストラン

コミュニティの個人的な物語の出会いを作る
2階は、展示会やパフォ−マンス、ツアーやイベント、アティストレジデンスなど。
人々が再び集うことを目指して

ここロッテルダムは、ヨ−ロッパ一大きな中華街があり、
2万5千人の中国人が暮らしている


3階は、祖父母が移民でオランダにやってきた
3世代目のデビットによる中国移民の歴史の部屋

1928年祖父がオランダ人女性と結婚した時は、
妻は、オランダ国籍を剥奪され、
1975年、3代目のデビッドは、16歳でやっとオランダの国籍を取得した


現在2階では、女性3人の展示を開催中



これだけ多くの移民、難民の写真があるのに、
(ヨ−ロッパが多いけど)パレスチナの写真は一枚もない
で、最後にスタッフに聞いてみたが、言葉をにごされる