8月初め、数々のトラブルを乗り越え、ティラナの宿へ
カリカロスからヴォロス行きのバスが 迷惑駐車で発車できない!
ー同席者を見つけ、タクシーで30分走りヴォロスへ
ーティラナ行バス乗り場が見つけられない・・(バス会社はバスターミナルの外に・・)
-さらにミニバンで30分走り、ハイウエイバス乗り場へ
ー夜中の出入国検査
ーほとんど寝られないまま、早朝アルバニア、首都ティラナ着
ーバスセンターのSIM売り場、換金所は10時にも開かずーやっと昼頃宿へ
(トラブルは、あるものと思って旅しよう・・)
ここは、バルカン半島、マケドニア、モンテネグロ、コソボ他行のバス会社が連なる
ティラナのバスセンターにて
広場の壁画
多くの民族が独立に立ち向かう?
アルバニアの100円ショップ、その名も、ハバナショップ
キューバの巻きたばこ屋もあり
ティラナでは、夏に国際映画祭も開催される、今度行こうかな?
30年続いた独裁政権が、仮想戦争を想定し、国中に建設した防空壕(バンカー)
会議もできる広い軍人や政府関係者用、市民のみ、いろいろあるようだ
今は、博物館や名所にしているバンカーもあり
宿の近くの広大なマザーテレサ病院
彼女は、アルバニア人両親のもと、(現在は)北マケドニア生まれ、インド国籍取得
一般病棟以外にも、救急棟、小児棟、家族棟、ドイツやフランス、トルコの病院もある
(伝統医療をやる病棟は、見当たらなかったような・・?)
道端の絵描きのギャラリー
Get your guide(世界中のツアー情報あり、今回何回か参加) で市内ツアーへ
若いガイド(手前、後ろはバンカー)は、ツアーの3分の2は、
祖父母や両親などから聞いた独裁政権(コミュニスト)時代のことを語っていた
1991年、流血なく独裁政権を倒した
無信仰を強制させられた後、現在も宗教紛争のない理由など
参加者は、NYで病理物理学を学んでいるブラックアフリカンの女性や、
ロンドンで働くマレーシア人女性などと一緒に。
後方は、1989年11月、市民が壊したベルリンの壁!
私は、当時デンマークのフォークハイハイスクールから出かけ、その場にいた
みなが、ハンマーで壁を壊す音を、音楽のように聴いていた
そのかけらは、今も私の手元にある
初めて鉄条網を越えた東ベルリンの兵士の写真と共に
35年ぶりに壁の一部に出会い、他の点も糸のように紡がれていく今回の旅
キリスト教復活協会
今年天に行った友人たちを祈る
(アルバニアやジョージアの教会のロウソクは、すべてミツロウから)
1レックx1.6=円 以下レック
カプチーノ60、小さいパン20、ビール200、グラスワイン300、
宿(トイレ付)2000~、タクシー5km 800~、乗り合いバス(フルゴン)1h 600~
夕暮れのモスクとミナレット
道端の散髪屋
倒れそうなくらい乾燥し熱い中、チャヨー山ヘ
羊を放牧している農民とすれ違う
古い石の街、ジラカストラへ、素敵な庭のある宿の玄関先、 下の大箱は衣装入れか? 木陰で朝食付き
冷戦時代の防空壕(長い地下トンネル)で、それは響く多重音声合唱(レコード、polyphony)を聞く
夕飯は、近くの木陰の食堂で、揚げオニギリ(チフチ)やナスの詰め物、ガスパッチョを。
民族博物館
独裁政権時代に殺された人々
宗教指導者も多い
国内の4つの主な宗教の祈り
左上から時計回り:アルバニア正教(7%)、ユダヤ教(少し)、カソリック(10%)、
イスラム教(60%)統計は不確かで、無宗教の人も多い
数十年前の居間、多分昔は甘い紅茶、今はカプチーノか?
台所用具と料理法
魔法の力を持った木の杖
博物館の2階から
アルバニアの壮大な叙情詩よ