トリビシ駅から北部メスティアまで、乗り合いバンで10時間 車酔い少し
みな違う場所を教えてくれ、場所を探すのに大変、何とか間に合う
駅周辺(北南、1階2階とか)でも、何か所もバスターミナルがあるのね
フランスあたりから、5枚のカードの現金引き出しができなくなり、1枚のみ支払えるので、
少しでもカードで支払い。でも宿はみな現金・・
で、楽しみにしていた隣国アルメニアには行けそうにない・・
着いたメスティアは、豚が散歩中
こちらの肉は、牛と豚の合い挽きがほとんど。
だからもイスラムやヒンドー教徒の人は、食べられない。
渡り廊下
ほとんどの人がトレッキング目的なので、古着屋や山道具の店もあり
共同台所がある宿に泊まるので、早速市場に買い物
野菜と果物、小さなスーパーで短粒米やオートミール、魚の缶詰などを購入
油や塩、コショウくらいは、台所にあることが多い
今回の宿は、台所は広いけれど、火力調整ができないIH・・
米を炊く度に焦げる・・
伝統的な家かなあ・・
コミュニティカフェで、「DEDE」を見る
数十年前のスヴァネティ地方が舞台、監督(女性)の実話を元に作られ、
ここは監督の妹が運営中。2階で、ソファに座って。
メスティアにいるときは、ほとんど毎日このカフェLAILAへ
チャージなしで、毎晩ライブあり、メニューも豊富
バグパイプのようなチボニ演奏中
飛び入りも多く、座っている人も、上半身はダンス
南部から来たひとは、この地方の言葉がわからないという
壁中旅行者の落書き
右下:ウクライナと連帯を
右上:ヘブライ語
(あちこちで、ヘブライ語で書かれた死んだ兵士や、
行方不明の人質たちの写真付きステッカーを見た)
このカフェのスタッフのユニホームには、
「国土の20%をロシアに占領されている」と。
1991年ソビエト連邦が崩壊し、独立時、アブハジアとアジャリアは、
自治共和国としてロシアの実行支配が続いている
タイでも時々みかける 歩道のコンクリートが乾く前の足跡
これは、だあれ・・?
山沿いに行くと、スヴァネティ民族歴史博物館が現れる
イコンや生活用具、家具、宗教美術など。
光と展示がすばらしい
数十年前の女性たち
儀式のための大釜
生贄(生贄)の牛をこれでゆでて、神に捧げた
博物館の空き地で、ミントを摘んでいたひと
「お茶にしたらおいしいよ」
どこも冬に備えて、薪の準備がすごい
宿もたくさんあるので、森林減少もすごそう
冬にも旅行者は来るそうだ
日曜日の教会
洗礼を受ける赤ちゃん
ここもおいしい地下水(か沢の水)があちこちに
見つけると、水筒へ入れるよ
今日は、違う楽団
コミュニティカフェDEDEの1階
映画は2階で
日本語のジョージア映画祭のチラシもあった
カフェLAILAにおいてあった小冊子
「ロシア人によるジョージア人虐殺
~南オセチアをロシアが併合したとき」
今日のランチは、
焼きめし、ズッキーニの塩もみ、水出し紅茶、ハニーケーキ
とまあ、いつも簡単だけど、これでいいのよ
部屋も共同台所も、川に面しているので、流れの音がすごい
宿には、ソロ、テント3泊で山を縦走してきたスイス人女性
おいしそうなものを料理し、中国茶をごちそうしてくれた中国人男性
明日から、ウシュグリまで3泊で歩くそうだ
今するか、決してしないか?
(もちろん、今!)
今日は、松や杉林を抜け、滝をめざす、最後の3分の1は岩だらけ
落石も多いので、あまり氷河には近づかないように・・
チャラアディ氷河の向こうはロシア
森林を抜け、途中終わりかけの野生のラズベリー
今日は、違うカフェのライブへ
手前は、野菜(カボチャやビーツなど)にハーブとスパイス、
名産クルミなどを混ぜ込み、ペースト状にいたもの(プハリ)
奥の人は、激しい動きのダンサー
カホーンと弦楽器(チャンドリ)も。
滝は結構遠かった
トリビシに8年暮らすカナダ人翻訳家
バトゥミに暮らすロシア人カップル(翻訳家とヨガ)他と一緒に、離れたり時々一緒に歩く
途中、イギリスとチェコ人3人のサイクリングリストにも会う
始めの橋
やっと戻ってきて、イラクサスープを飲んで、ハンモックでしばし休む
9月の半分は、毎日10-20km歩いていた、でも標高差400mくらいのハイキング
男性たちの多重合唱が始まった
これも無形文化遺産
メスティアに行くとき、途中休憩の小さな私設ミュージアム
その前の家畜の水飲み場
ハイキング途中に見つけたコケモモと思ったけれど、
同行のロシア人は違うって。「いつも母と集めてジャムを作るから、わかる」
彼も徴兵を拒否して、現在はタイ、プーケットに暮らしブロガーとHP作成中