2024年12月31日火曜日

見張り塔のウシュグリ(2200m)


9月初め、メスティア(1500m)から、さらに乗り合いバン(マユルーツカ)で2h北へ
見張り塔の多いウシュグリ(2200m)へ

この間を、3泊でハイキングができることを、後から知る

一瞬世界の果てかと思いきや、いやいや、中心地は、カフェや宿などのすごい建築ラッシュ
10月の初雪の前にか


家畜の水飲み場、馬やヤギ、牛や豚か


見張り塔を改造したカフェ
奥の木彫り椅子(本来は家長用)は、オーナーの創作
トウモロコシ粉の無発酵のパン(天火に入れる小さな素焼きの器に盛る)を、よく食べた
薬草も詳しそうだったなあ

この近くで、イラン人女性3人組とすれ違う
(家族で旅は時々いるけれど、女性だけはまずいない)
「欧米経由のマスコミの情報は本当に偏っていて、みなの思うイランと現実は違うのよ。
テヘランはお勧めしないけど、イランにもぜひ来てほしい。
スカーフをかぶっていない女性も多い。
私は旅行会社にいて、いつもは、ドバイに近いし小さな島にいるので、連絡を」と。

でもその人の立場や味方で、事実も随分変わってくると思う。
シリアから来た女性にも似たことを言われ、
現在のアッポレの写真(インスタ発信)を見せてくれた


村の中に、ほおっておけば崩れるだけの石の家を、私設博物館にしている場所が数か所ある
そのひとつ
初めてこの空間に入ったときは、世界が止まっているかと・・
沈黙と暗闇、黙想


ここを作ったひと、2階で農具と



野生のヤギの角


立派な衣装箱、素材は、クルミやナラなど
表面は、何を塗っているのだろう・・


チェコ人とイギリス人のサイクリングリスト
キルギス並みに険しいこの道を、多くはテント泊で・・


ずっとエヌグリ川に沿って、谷間の一本道を歩く


今日は、川沿いに、シュハラ氷河(2600m)へ
標高差はあまりないけれど、往復22km
カナダ人と香港人、韓国人とジョージア人カップルなどとすれ違いながら・・


キルギスの山々を思い起こす
草地なのは、隆起したからと聞いたが・・?


見張り塔を改造した塔の2階に1週間滞在
あまり移動したくないので、どこも1週間くらい自炊しながら滞在する

黒い服の女性が多いけれど、夫が亡くなると一生黒い服という
(アルバニアも同じ)
男性は紋章のみ、でも見たことないなあ・・
若い世代はどうかな?



宿の窓から
度重なる侵略用の見張り塔
昔はひと家族にひとつあり、敵が来たら、ハシゴをはずす
お湯は出るけれど、皆重ね着しても朝晩は冷える・・


昨日は、奥の氷河のふもとを目指した


宿の1階のストーブ
左にマキをくべ、右がオープン
オープンで焼いたジャガイモにクリームチーズをかけたものをいただく



12世紀に建てられた丘の上のラマリヤ教会

正教は、キリストではなく、たくさんの聖人を祭る
(どこも古いフレスコ画がある)
聖書は、歌のように読む
みなミツロウからのロウソク
乳香もよくたく、

(記憶がよみがえると思ったら、
マリの村で、イスラム教徒の女性がお祈り前にたいていた香りと、同じ)

なので、それほど圧迫感がない
普段は、自分から教会へはまず入らない


ここは、頭にスカーフだけではなく、腰に布も巻く
男性は、長ズボンならいいようだ




ここも私設博物館
左下に家畜を、その上で人が眠る
右の大きな板は、小麦の脱穀器


悪い行いをしたとき、首からこれをかけるそうだ
それらは、家長や部落長が決めるのだろう


ここも博物館
彼女の夫は、アルピニスト(登山家)だった
そう、大コーカサスを望むジョージアは、登山家も多い
楽器をきかせてくれる



石の壁の上に小さな家の模型が続く
魔除けかな?


ジョージアの貨幣、ラリ
5ラリ:ニコ ピロスマニ「脱穀」「赤シャツの漁師」(表は言語学者イヴァネ)
50ラリ:タマル女王(グルジア王国の黄金期 1160-1213年)


美しい石(粘板岩?)の屋根よ


宿のひとが、パクチーの種採りとニンニクの皮向き
手前は、炭酸を含む水を汲んできて、いつも飲んでいるようだ