Cluster Bombs and Bomb Survivors Center in Laos
1964~1973年第2次インドシナ戦争で、アメリカ空軍は、
8分毎に爆弾を投下、現在も200万トンもの不発弾が埋まっている。
アメリカ政府はずっとそれを認めなかったので、公表されなかった
ナビア村のひとたちは、それでブレスレットやスプーンを作り生計の足しに・・
前述のSAOBANにて
COPEセンター
赤十字の敷地内には、COPEの他、盲学校、リハビリセンター、
義足や義手を作るセンター、障害者のための体育館などがある
センターでは、ビデオやパネルで、不発地雷撤去や被害状況を。
上記のモニュメントには、地元のアーティストが500kgの不発弾を使用して創作。
クライスター爆弾を含む不発弾によって障害を持ったり、亡くなったひとたちの記憶として。
カンボジア難民キャンプ・サイト2にいたころ、国境付近で不発弾を踏んだひとたちが内陸のカオイダン難民キャンプに運ばれてきていた・・
半分近くの犠牲者は子供たち
クライスター爆弾の被害状況
アジアでは、ラオス(1965-73年)、カンボジア(1969-73年)、ベトナム(1965-75年)
ベトナム(の統一と独立をめぐる)戦争は、1960-73年、75年南北統一