2017年4月9日日曜日

水俣のおいしい春を食べるツアー(4) 水俣病の歴史を学ぶ

 
私は、水俣病が公式確認された1956年に生まれた
経済白書が「もう戦後ではない」と宣言し、その後東京オリンピック、大阪万博と
高度経済成長期に育った
 
新日本窒素肥料株式会社が、有機水銀を垂れ流し続けた百間排水口

 

 
漁はできなくなり、1962年国が国有林を甘夏団地にし、そこに移った佐藤さん(中央)
「毒で水俣病になったので農薬は使わない」と、有機栽培している。
両親は水俣病で、自身は認定申請→棄却を繰り返し、現在も裁判中
連れ合いは医療手帳は交付されたが、
「あやふやなままでは終わらせない、和解はしない。」と。

 
祖父母や両親は劇症型水俣病となり、Uターンして漁師になった杉本さん
水俣病の語り部となる
水俣市の小学生は水俣病学習の時間があり、繰り返して伝えていく
 
夕食用に朝採りのエビを準備する
 
 
水俣湾クルーズ
中央の石は、ここまでは汚染されているため漁をしてなならないという境界
(現在は使ってない)

 
夜は、杉本さんの採った海の幸が並ぶ
(左から)エビとナマコ、チリメンサラダ、鯛の刺身、ヒジキの煮物