2017年4月9日日曜日

水俣のおいしい春を食べるツアー (5)水俣病歴史考証館

 
Minamata Disease Museum
水俣病歴史考証館の庭にある猫実験に使われた猫のお墓


 
新日本窒素肥料株式会社の宣伝ポスター
作られていた製品は、液晶、保存料、保湿剤、化学肥料、合成樹皮など
新日窒あっての水俣だった

 
1959年第一次漁民闘争・患者家族互助会、1969年第一次訴訟、1971年自主交渉、と長く苦しい闘いが始まる、


 
1962年、胎児性水俣病が認定、生物濃縮が確認される
 
主な症状は、メチル水銀が脳など神経系を侵し、手足のしびれやふるえ、
脱力、耳鳴り、難聴、
目が見える範囲が狭くなる、言葉がしゃべりにくい、動きがぎこちなくなるなど
慢性型、劇症型もある
 
 
他地域から来た漁民が多く、窒素あっての水俣で、
偏見と差別が繰り返された。
 
その後、四日市ぜんそく、新潟水俣病、富山イタイイタイ病と4大公害病が発生
 
(繰り返し福島原発事故の状況と重なった)
記憶に刻み続けること


 
(右)新日窒付属病院が猫実験で使った小屋
原因が確認されたにも関わらす、公表せず、
1966年までほとんど無処理の廃液が、水俣湾に流され続けた。

 
最後のワークショップ「近代とはなにか?、
どうしたら近代を乗り越えられる糸口をつかめるか? ではなにをするか?」
始めは、お金も時間も自由にあったら実現したいプロジェクトの発表
 
 
次は、1年後に実現させるプロジェクトの発表
(8割がた実現するそうだ!)
 
ツアー参加者は、地域創生、人権問題に関わっているひと、女性相談窓口担当
ランドスケープデザイナー、農や食のフリーライターなどなまざま